さんがつじゅういちにち

昨日,ポタリング中,新宿は甲州街道での風景.
信号待ちで.

ふと見渡すと目の前に広がる風景に驚いた.
かすんでる.

煙霧,って言うんだそう.
エフェクト,一切かけてませんよ.すんごいですよね.
で.御多分に洩れず,すわ黄砂か,とビビったアホの一人.

無知というのは実に恐ろしく,そして恥ずべきものであります.

街に戻ってきた時は,街中,みんなマスク.
正直,きもい.

と,日用品の買い出しをしていたら,偶然大好きなタコ焼き屋さんのお母さんと遭遇.
お母さん,「黄砂かしらねぇ」と.

その時点自分は,すでに iphone で黄砂でない情報を拾えていたので,何か違うみたいですよ,と.

簡単な世間話をしながら,
後頭部あたりに居る感じの,モウヒトリノジブンが,「もしかしたらパニックってこういう風にして目を覚ますのかな」なんて思ったり.

と差し掛かった十字路で,
お別れの挨拶を交わして,向こうに歩いて行くお母さんの小さい背中が,陽炎のようにゆらめくマスクの魚群に同化して行く風景に,ちょっとゾッとしながらも,面白い光景だなあ,なんて思っちゃったりしたわけです.

ぷぷっ
いやぁ,もう本当に,こっちはそんなモードに入っちゃっていて(笑

そんな中,2 年経ちました

これをテーマにするか迷ったのですが,色々考えた結果,こうしてみることに.
こうしてみる,迄の詳細は省略.たぶんこういう所に書く類いのものではない.

簡潔に書けるかな(笑

実は,未だ,何一つ整理できていなかったりする.
この点だけは分かっている.皮肉なロジックです(笑

なので,
散らかっているから,そろそろ整理しようか,と動き始めると,
あれはどうだ,これはどうだ,と動かしているうちに,ついに考えることすらに怯えちゃっていたりする.
疲れとは違うから,怯え,と表現することに(笑

結局,頭の中で考えてばかりで,...という典型なんだと思います.我ながら実に情けない.

いずれにせよ,どちらにも当てはまらないし,何かハマらないような気がしてならない

自分の直径手を広げる場においては,大きく2つのタイプがある.

関心の薄いタイプ.
関心の高いタイプ.

ホンっっっト,馬鹿丸出し(笑.

そもそも分類じゃねぇだろ,仰るのは御尤も.もっと気の利いた軸の設け方なり,伝えるに足る形容詞など,考えるには考えてきているのですが,...創造力だけでなく,語彙までも乏しいと言う救いようも無い自分にとって今のところ,これが精一杯だったり.
これまでも,度あるごとに,あれもこれもと考えてはみるのですが,結局のところ散らかしているだけだったり.で,そんな風に捉え描写することに.
ま,ある意味自分らしいと言えば自分らしいのですが orz

測る尺度も,そうやって出てくる質,量,そして程度,様々に,関心の薄い方々,高い方々,それぞれにいらっしゃって,
それを見て接して共感し合ったり,反論したり,感心したり,ガッカリしたり...

このような世の中の動きやら,人の様子を見ていて,自分がいつも思うことがあって.

それはが,自分はなぁんか "どちらでもない" なぁ,ということ.

ひとつは,
関心高い人の,前のめりな感じとか.時に押し付けがましく,強迫的だったりする.
関心低い人の,飾った感じとか.

温度差,間合いの取り方,どれもが "いずい".

そしてもうひとつが,
例えば,あくまで例えばの話ですよ.話は強引です.
復興支援の熱意,という態があって,
関心の高い人の,イワユル "熱意" というものに,違和感を覚えることが度々あったりするし,
どうも見え隠れする顕示欲だったり自己愛を補うために発火される,関心が低い人の "熱意" も違和感感じるし.
...とか.

どれが本当か分からない.
これは本当に疲れる.

そして,
ついつい,そういう風に人間を観てしまう疑い深い自分も,自分自身で嫌ですし,
嫌だと思っている自分もまた嫌.

そして何だかんだで一周し,翻って,
"自分はこれでいいと思う",というところがオチ.

全く以て,あたくし,本当にずるい,臆病者であります.

自分の手を伸ばして届く距離にあるもの

で,今日やったことは,
自分の実家,東北は宮城に住む両親に電話したこと.
そして同じく親戚の様子を確認したこと.

2013年 "の" 03月11日(月)にやったこと.
結局,去年の03月11日(日)にやったことと,そう変わらなかったりするわけです.

実家での今晩の食卓は,天ぷらだったそうです.
いいなぁ.美味しそうだ.

はいおしまい.
やっぱ,支離滅裂でしたね(笑 いつ整理つくのかな.

同じ日の去年のメモを見つけて.
今年も,
やっぱり "感情って無い方がいい" なんて思ったりする.
去年と違うのは,"やっぱり" を付けたトコ.